2010年09月30日

救いに伴って私たちに起こったこと (2)


 4.       聖霊を飲むものとされた

 

 ところでパウロは、私たちはみなキリストのみ

からだにバプタイズされたと言った後、すぐに、

聖霊を飲むものとされたとも語っています。聖霊

を飲むという表現も、五感では感知できない霊的

体験を、あたかも五感で感じ取ることが出来る、

日常の体験のように語ったものです。そのように

語らなければ語る方法がなく、理解される手段も

ないからです。



 

 聖霊が満ちていてくださるキリストのみからだ

に、バプタイズされるという表現も、聖霊を飲む

という表現もとても絵画的描写です。まるで、満

々と溢れる水の中に投げ込まれて、その水を飲み

込んでしまった体験を語っているようです。この

ときパウロは、多分、伝道旅行中に海難事故に遭

い、海に投げ出されたときの体験を思い起こしな

がら、語ったのではないでしょうか。前後左右上

下まったく水に取り囲まれ、鼻からも耳からも水

が入り込もうとする。もちろん口を開けようもの

なら、容赦なく口の中にも入り込もうとする体験

です。この体験をクリスチャンになったという出

来事の、霊的次元での体験と重ね合わせたので

す。クリスチャンになるということは、聖霊の海

の中に投げ込まれて、その中にぶくぶくと沈み、

腹の中にまで聖霊が浸わたってくるという体験な

のです。



 

 クリスチャンになるということは、聖霊を内に

宿すことだと言われてきました。それはそれで間

違いではありません。ところがそれは、パウロの

表現によると、まず、キリストのみからだにバプ

タイズされることによって起こるのです。キリス

トのみからだが聖霊に満ちているからです。それ

はキリストを信じたら最初に起こることではな

く、時間的にはともかく、理論的にはキリストの

みからだにバプタイズされることに引き続いて、

その後に起こることなのです。

 



 キリストを信じて聖霊の内住を得た個々人が、

任意に集まって教会を形成するのではありませ

ん。かえって聖霊によって、有無もなく教会にバ

プタイズされることによって、聖霊を飲むものと

なり、聖霊の内住が可能となるのです。ここに、

キリストの救いに与かることと、教会に連なるこ

との重要な関係が明瞭に示されています。西欧個

人主義に影響された多くのクリスチャンが、信仰

とは自分と神との個人的関係だと理解し、教会に

加入することは益になるかもしれないけれども、

必ずしも重要ではないと考えていますが、聖書

は、キリストを信じる信仰と教会に連なることを

不可分のものとして語っているのです。

 



 ですから、クリスチャン信仰と教会生活とは、

絶対に切り離して考えたり論じたりしてはならな

いものです。教会生活のないクリスチャン生活は

本来あり得ないのです。ところが個人主義の文化

の色眼鏡で聖書を読んだ人たちは、教会の位置を

非常に低く見積もってしまいました。まだ個人主

義があまり強くなかった日本においてさえ、救い

ということを永遠の命、あるいは神との関係の修

復、儒教的な高尚なクリスチャン生涯というよう

な、個人的要素の強い角度からだけ捉える傾向の

あった人たちは、教会を無用の長物としてしまい

ました。

 



 またパウロのこのような表現は、あくまでも霊

的な次元での出来事を、私たちの日常体験の中で

の出来事のように言い表したもので、字義通りに

理解してはならないものです。パウロが言い表そ

うとしていること、パウロが伝えたかったのは、

染料の液の中に浸けられたような体験でも、水を

がぶがぶ飲み込むような体験でもなく、そのよう

にしか表現できない、霊的次元での体験なので

す。つまるところ、キリストを信じたその瞬間か

ら、すべてのクリスチャンは聖霊との非常に密接

な、あるいはとても親密な関係にはいったという

ことです。この関係を妨げるものはないのです。

 



 一人ひとりのクリスチャンは聖霊との親密な関

係にはいり、聖霊の命、キリストの命、聖霊の力

キリストの力などと表現される、復活のキリスト

の命と力をいただいて、甦ったもの、新たに生ま

れたもの、神の国に生きるものとして生きること

ができるようになったのです。罪のためにゆがみ

本来の命と力を発揮することが出来ないでいた、

神に似せて造られた人間性は、このキリストの甦

りの力によって再び活発に活動できるようにな

り、本来の生き方に近づいて生きるようになるの

です。



5.
      
五感の支配する
     
日常の生活の中で
        
霊的事実を体現する

 


 パウロは、「御霊によって生きているなら、御

霊によって歩こう」と語っています。(ガラテヤ

51626)これは、「御霊のよって生きている

かどうかは、良くはわからないけれど、もしも御

霊によって生きているなら」という意味ではなく

「御霊によって生きているのだから、御霊によっ

て生きているという事実があるのだから」という

意味です。つまり、御霊によって生きている、生

かされているという事実が歴然としてあるのだか

ら、その事実を体現して、具現化して、誰にでも

それは事実だと分かるように生き方をしようとい

うことです。

 


 ここで御霊によって生きているというのは、霊

的な次元での事実です。その霊的事実を、私たち

の目で見、体で体験できる日常的な次元の中、そ

の生活の中で「事実」として表現していこうとい

うことです。それは、私たちは神の子となったの

だから、神の子らしく生きようというのと同じで

す。罪から開放されているのだから、罪から開放

された生活をしようというのと同じです。霊的な

事実、霊的次元での歴然とした事実を、日常の生

き方の中ではっきりと現していこうということで

す。



 

 私たちがキリストのみ体に、すなわちキリスト

にバプタイズされたという霊的事実は、洗礼とい
う儀式によって表現されています。それによって

一人ひとりが自分の霊的体験を、日常の感覚で体

感できる体験として持つことができるようにさ

れ、教会として、みんなが公に認めることが出来

るようにされています。

 

 しかし、霊的事実は儀式で表現されるだけでは

足りません。霊的事実には力があるのです。命の

源である聖霊との体験だからです。聖霊に生かさ

れる体験だからです。それはかならず日常の生活

の中に現されてくるべきなのです。すべてのクリ

スチャンは、内に生きていてくださる聖霊の力に

よって新たな生き方をさせられ、新しく生まれた

という表現がふさわしい生活をすることが出来る

のです。

 



 それはまた、聖霊に満ちるという表現とも関係

があります。聖書は聖霊に満ちた人とか、聖霊に

満たされてという言い方をしています。それはク

リスチャンがその時に限って聖霊の満たしを受け

たとか、その人だけが、他の人に比べて豊に聖霊

の満たしを受けているかのように聞こえますが、

実際はそうではないと考えられます。すべての人

は霊的次元の事実、霊的次元の現実として、聖霊

の中にバプタイズされ、聖霊を飲むものとされて

いるのです。その霊的次元の事実を日常の世界で

如実に体現していることが、聖霊に満たされてい

ることであり、その霊的次元の現実をより豊にこ

の目に見える次元で具現している人が、聖霊に満

ちた人だといえるのです。

 



 それが、旧約時代の英雄に聖霊が臨んだといわ

れているのと、異なる点のように考えられます。

旧約時代にも、確かに聖霊は臨み、また離れて行

かれました。しかし新約の預言者(すべての信

徒)は、満ち満ちた聖霊の中にバプタイズされて

いるのです。旧約の時代の聖霊、神の霊は、あた

かも人が大きな神の働きをしようとするとき、あ

るいは神の大きな働きをしようとする人に与えら

れる、神の特別な力でもあるかのように表現され

ています。ですから旧約聖書の記述だけを読ん

で、聖霊が三位の神の第三格位の方だと理解する

ことはまずありません。ところが新約聖書の記述

を読むと、聖霊は単なる神の力ではなく、人との

交わりを有効にし、それを深め強めてくださる神

ご自身であることが分かるのです。

 



 そのような聖霊体験をしている人々の共同体が

教会です。教会は単なる人為的な協同組合のよう

なものとは違います。それに連なる者すべてが甦

りのキリストの霊をいただき、その霊に生かさ

れ、キリストに似るものに作り変えられながら、

互いに愛し合う共同体なのです。すべての構成人

員がキリストの贖いの愛を体験し、その愛に生か

され、その愛に生きる共同体です。そしてそれを

可能にしてくださるのが、全員を取り巻き全員の

中に生きておられるキリストの霊なのです。だか

ら、パウロはいうのです。「聖霊によって生きて

いるのなら、聖霊によって歩もうではないか」

 



 教会は神の家族と言われています。赤ちゃんは

家族の中で愛され、世話を焼かれ、教えられ、育

まれるのです。家庭がなければ、赤ちゃんが正常

に成長するのは困難です。クリスチャンが正常に

そして健康に成長するためには、絶対に、この神

の家族の中にいなければなりません。それは単に

霊的事実として神の家族の中にいるということで

終わることではなく、その霊的事実を具体的に顕

現した地域教会の中で育たなければなりません。

クリスチャンは、地域教会において具体的に交わ

りを共にしてこそ、正しく成長できるのです。き

ちっと地域教会に加わらず、花から花に移る蝶の

ように教会を渡り歩き、勝手気ままな生き方をし

ているクリスチャンは、霊的現実を具体的に体現

することが出来ないために、成長できないままに

終わってしまうのです。

 



 考えて見ましょう。クリスチャンに与えられて

いるもっとも崇高な戒めは、キリストが私たちを

愛してくださったように、互いに愛し合うことで

す。でも、もしもクリスチャンが他のクリスチャ

ンと交わりを持たず、顔も知らない名前も知らな

い生活も知らないとしたら、どのようにして互い

に愛し合うのでしょう。食事の前に、全世界のク

リスチャンたちを祝福してくださいと祈っても、

互いに愛し合っていることにはなりません。具体

的な交わりと助け合いがないところに、本物の愛

はないのです。




 
6.クリスチャンの成長 



 クリスチャンの成長は、上を目指した自分の努

力もさることながら、聖霊によるものであること

を知らなければなりません。多くのクリスチャン

が、自分の中に起こった霊的な出来事、霊的な次

元での体験に気付かないままに生きています。自

分の内に聖霊が生きていてくださるという事実

に、まったく気付かないまま生活しているので

す。長いあいだ罪に縛られて自由を奪われていた

ために、自分には神に喜ばれる生き方はできない

と思い込んでしまい、自分の中に与えられた新し

い命、新しい力、神の可能性に気付かないので

す。

 



 鶏の両足を紐で縛って放っておくと、しばらく

は逃げようとしてもがきますが、やがて無理だと

わかってあきらめてしまいます。
3日間ほどもそ

うしておいてから紐を切ってやると、紐が切られ

たという事実に気付かずに、あきらめたまま歩こ
うとはしません。歩けない、歩くことは出来な

い、歩く力がないと思い込んで、いつまでも座り

込んだままでいるのです。長い間、罪の中にいて

クリスチャンになった多くの人たちも同じです。

歩けないと思い込んでいるために、自由を与えら

れ、力を与えられていても歩こうとせず、歩けな

いで終わってしまうのです。



 

 クリスチャンには、自分が聖霊の満ち溢れるキ

リストのからだにバプタイズされ、聖霊を飲むも

のにされたという、霊的次元の出来事を認識させ

ることが大切です。そしてその事実に立って行動

するように励ますのです。すると、最初はおぼつ

かない足取りでも歩き出すことが出来るのです。

だんだん痺(しび)れもとれ、感覚を取り戻し、

健康な人のように歩き始めることが出来るので

す。

 



 ただこのとき、生まれながらに自分の中にあっ

た力を頼りにしてはなりません。立派な生活をし

てきた人、尊敬されるような生き方をしてきた

人、自分の能力に自信を持っている人ほど、自分

の力に頼って失敗することが多いのです。頼るの

は、あくまでも、内に住んでくださった聖霊の力

です。聖霊にお願いし、その力に頼り、その約束

に信頼して歩き出すと、歩くことが出来るように

なるのです。具体的には、今までできなかった生

き方をさせてください、愛することが出来るよう

に、赦すことが出来るように、我慢をすることが

出来るように、腹を立てないで済むように、にこ

やかに対応することが出来るように、欲望に打ち

勝つことができるように、劣等感に勝利をするこ

とが出来るように、無力感を払いのけることが出

来るようにしてくださいと、自分には出来なかっ

たことをひとつひとつ、祈りながら試していくこ

とです。そして、少し出来たら感謝、もう少し出

来たら大いに感謝、出来なかったときにも失望せ

ず、心配もせず、それでも愛し続けていてくださ

る神様に感謝して、もう一度、試させてください

とやり直すのです。するとかならず、出来るよう

になっていくのです。

 



 クリスチャンの成長は、自分は聖霊を飲んだの

だ、聖霊が自分の内に住んでいてくださるのだと

いう霊的事実を確認し、その聖霊に信頼し、聖霊

の力を期待し、祈りながら、自分には不可能だっ

たキリストに倣う生き方を、ひとつひとつ実行し

ていくことによって達成されるものです。聖霊は

日々私たちを作り変え、キリストに似た者に作り

上げてくださるのです。

                 つづく







  





 
posted by まさ at 20:16| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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