2010年09月30日

復活に生きる


  

 人はみな死にます。肉体は朽ち果てて消滅し、

人々の記憶からも失われ、やがては、生きていた

証さえ拭い去られて、永劫の彼方に忘れられてし

まいます。そう考えると、人生は虚しいもので

す。せっかくの楽しみも喜びも、色あせてしまい

ます。ならばとばかりに、太く短く生きようとす

る人たちの姿は醜いものです。反対に、だからこ

そ人生を大切にと言いながら、生に執着している

姿も美しいものではありません。延命処置で管

だらけになて寝かされている人を、正視できるも

のではありません。



 

復活の力に生きる


 私たちクリスチャンの生き方は違います。わた

したちは復活の信仰に立って生きているからで

す。クリスチャンは、二千年以上も昔に生きてい

た方を懐かしんで、手本にして生きているのでは

ありません。いま私たちと共に生き、いま私たち

を助け、いま私たちの内に住み、いま私たちの生

きる力となっていてくださる方によって、生きて

いるのです。私たちはいま、キリストの復活の力

によって生かされているのです。




 復活されたキリストが、私たちの内で力となっ

て、私たちをふつうの人間ではない者にしてくだ

さっているのです。私たちは弱く頼りない人間で

す。でも復活のキリストを、内に宿した人間で

す。復活のキリストが内に住んでいてくださるか

ら、私たちは内側からキリストの姿に似せられて

いくのです。やがて、キリストを信じる前の自分

とは、大きく異なった自分が作り上げられていく

のです。




 以前の私たちは、なんでも自分が第一でした。

すべて自分の益のため、自分の得のため、自分の

名誉のため、自分の面子のため、自分の幸せのた

めでした。何でも自分を中心に考え、自分を中心

に判断し、自分を中心に選択してきました。それ

が当然だと思っていたのです。その結果、人と争

い、人を蹴落とし、人を傷つけ、人を利用し、人

を騙し、人を陥れてきました。それが、意識的に

そうしたのではなく、自分を第一とした生き方の

もたらした副作用でした。それでいて自分は決し

て幸せでなく、かえって自分自身が嫌になって落

ち込んでいました。そんな自分をどうすることも

出来ずに、悲しくなり、惨めになり、どうにでも

なれと投げやりになってきました。




 でも、復活のキリストを心の内にお迎えしてか

ら、私たちは変わりました。自分を第一にする生

き方から、いつの間にか他の人を大切にし、自分

のことを二の次にすることさえ出来てきたので

す。それが一生懸命努力して、何が何でもと頑張

った結果ではなく、いつの間にか出来るようにな

ってきたのです。自分の内に復活のキリストが生

きておられると知って、そのキリストの力を信じ

頼って祈っていたら、いつの間にか変わってきた

のです。




 自分が人の助けになることができる、自分も人

の役に立つことができる、自分が人に喜んでもら

うこともできると気付いて、嬉しくなったので

す。生きることが楽しくなり、生きることに充実

感がもてるようになったのです。自分がどれほど

損をしても、裏切られても、傷ついても、十字架

にかかって苦しんでくださったキリストが内に住

んでいて、それを乗り越えさせてくださるので

す。金銀を儲けても、永遠の国に持っていくこと

はできないけれど、キリストと共に苦しむ苦しみ

は、永遠の栄光をもたらす宝だと知ったのです。



 
復活の望みに生きる



 復活のキリストが、私たちの内に住んでいてく

ださるという事実は、毎日の生活の中で不否定で

きない現実です。この明白な現実が、まだ見てい

ない私たちの復活への希望をも現実のものとし、

固く大きくしてくれます。キリストの復活は、私

たちクリスチャンの復活の初穂であり、保証だか

らです。死を打ち破って甦ってくださったキリス

トは、私たちをも甦らせてくださるのです。





 困難の中で喘いでいるとき、苦難の中でもがい

ているとき、ちょっと手を止めて目を閉じ、心の

中で自分に約束されている復活と、それに続く輝

きに満ちた命を思い浮かべてみましょう。パウロ

先生と一緒に、「いまのこのときの苦しみは、や

がて現されようとしている栄光に比べるならば、

言うに足りない」と断言できるはずです。私たち

の人生は死で終わるのでなく、さらに勝った命へ

復活をするのです。さらに優れた肉体を与えら

れ、キリストの心に似た心を与えられ、やがて痛

みも涙も叫びもない世界、神ご自身が、私たちの

目の涙をまったく拭い取ってくださる世界に、永

遠に住まわせていただくのです。





 キリストの復活は、私たちの望みです。いまは

まだ、すべての物事が薄ぼんやりと見えているだ

けです。聖書に教えられているあらゆる真理も、

まだまだ、霧の彼方にあるもののようにしか見え

ていません。神様との交わりも復活のキリストの

力も、実のところ、まだまだほんの少しだけ体験

しただけなのです。でも、やがて現される現実、

私たちの復活の向うの現実は、こんな小さなもの

ではありません。こんなに薄ぼんやりしたもので

もありません。すべてのことが明らかになり、す

べてのものが完成され、たとえようもなく大きな

祝福が、私たちを取り囲み覆いつくすのです。




 このような望みを持ったわたしたちクリスチャ

ンの歩みは、世の中の人々の歩みと同じであるは

ずがありません。大きな望みは大きな力をもたら

すからです。行く手の光は、足もとの闇の不安や

孤独を消し去ってくれます。




 キリストの復活を祝うイースターの季節です。

キリストの復活こそ、クリスチャンの勝利の象徴

であり、勝利を現実にする力なのです。









posted by まさ at 20:41| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。