2010年10月04日

感謝のある生活



  

 いまの私たちの生活は、貧しいとは言えずいぶん

豊です。でも、豊かさというものを満足度で計るとす

ると、今の私たちの豊かさは、とても貧しいものにな

ってしまいそうです。「このお菓子美味しくない」と

言って食べ散らかしている日本の子どもたちより、野

良仕事のあと、茹でた一本のタピオカを兄弟で分け

合って、目を輝かせながら食べていたフィリピンの山

奥の子どもたちのほうが、よほど豊に見えました。贅

沢な日本の子どもたちには、感謝も喜びもなく、ぼろ

ぼろの汚れたシャツを着たフィリピンの子どもたちに

は、感謝と生きる喜びがあふれているように感じまし

た。
感謝をすることが出来る生活は豊かな生活です。

でもどうしたら感謝が出来るようになるのでしょう。
 




T. 思い上がらないこと 
 


 思い上がりは感謝を奪い取ります。自分が何物か

であるように思い込んでいると、当然、その何物か

に応じた対応を求めます。賃金も、もてなしも、食べ

物も、すべて、「立派な自分」にふさわしいものを求

め、それが当然だと考えます。そしてそれが与えら

れないときには、たとえ美味しいものでも美味しく

なくなり、美しいものも美しくなくなり、手厚いもて

なしもぞんざいに思えてしまうものです。





 いまの日本人の多くは、自分が何物かであるか

のように、思い込まされているようです。少子化の

ため、家庭の中で大切に大切に甘やかされて育っ

たものたちが大勢います。自分が一番大切だと思

っています。自分が美味しいものを食べ、高価なも

のを身にまとい、贅沢に暮らすのは当然だと考え

ています。それは自分の権利だと思っています。で

すから、そのような生活に感謝はありません。そし

てそれが奪われると、怒り悲しみ落胆するのです。





 この世に生を与えられたすべての人には、生きる

権利があります。でも、権利の主張ばかりしている

人たちには、不満と憤りと、恨みとねたみが沸き起

こるだけです。






 ところが、自分を低く見ている人は小さな親切に

感動し、わずかな食べ物に感謝し、粗末な着物にも

喜びます。感動と感謝と喜びを持つことができるの

は、豊かな人です。自分がたまたま生を与えられた

小さな存在に過ぎないと感じている人は、感謝を大

きくすることが出来るのです。旧約聖書に登場する

ダビデ王は豊かな人間でした。それは王としてあら

ゆる物を手にしていたからではなく、自分は虫けら

に過ぎないと自覚していたために、どのような環境

にあっても豊かだったのです。





 
U. 神の子として生きる  


 昔、木村清松という伝道者がアメリカに渡ったと

き、ナイアガラの滝に連れて行ってもらいました。感

動していると、案内のアメリカ人が尋ねたそうです。

「どうだ。凄い滝だろう。日本にはこんなに凄いもの

はあるか」すると清松は答えました。「これは私の父

の所有物だ」それから、清松の行くところ行くところ

すべてで、「来たる!ナイアガラの滝の所有者の子

息」と、新聞で報じられたということです。北九州シ

オン教会の創立者であった力丸博牧師は、生前良く

言っていました。「国鉄も西鉄も、全部僕が有してい

るんだ。JALも日本郵船も、この世にある者はみん

な僕のものだ。でもそこで働いている人たちにも生

活があるから、自分が利用するときはわずかの金を

払うようにしているし、自分が使わないときでもみ

んなが利用できるように、いつでも営業させている

んだ」ふざけたことを言う牧師だと思って聴いてい

たものですが、力丸牧師は、自分の父は神である。す

べてのものの所有者であるということを、肌で感じ

ていたのでしょう。ですから、開拓伝道の貧しさの中

でも、堂々とおおらかに生きることができたのです。
 



 一方、自分は神のみ前に小さな小さな存在に過ぎ

ないと自覚して、生かされていることそのものに感

謝をして生活をするのです。自分が所有しているもの

で、与えられたものでないものはなく、自分が消費し

ているもので、与えられたものでないものはないと

いうことを、良く自覚することです。神のみ前に小さ

なものであると自覚すると、すべてのことに感謝を

することが出来るようになるのです。すると、自分の

失敗や間違いや罪や嫌な思い出までが、自分を小

さく保ってくれる大切なものであることも分かるの

です。パウロは自分の肉体的欠陥を、自分を謙遜さ

せる大切なものであると自覚していました。天地万

物をお造りになった大きなお方が、私のようなちっ

ぽけな存在を愛し、心を遣ってくださるのです。





 
V. 感謝を伝染させる  


 悲しみやいらいらや、怒りや失望落胆の気持ち

が、知らないうちに隣の人たちに伝染するように、

感謝や喜びの、生き生きした心もまた伝染します。

それに感染した人たちはまた、次に感染させるの

です。それが強ければ、怒りや悲しみの伝染を、食

い止めることも可能です。





 
それだけではなく、私たちの感謝、喜び、平安が

どこからやってくるのかも、伝えていくことが出来

るのです。私たちの感謝は、自分の小ささの自覚だ

けではなく、その小さなものを深く愛してくださっ

ている、大きな神にあることを伝えることが出来る

のです。私たちは言葉で神様のことを伝えると共

に、感謝の気持ちで神様を伝えることが出来るの

です。多くの贅沢なもので囲まれながら、感謝も喜

びもない生活をしている人たちの中にあって、贅

沢ではなくても、質素で単純な生活をしていても、

いつも感謝をしていることが出来ると、夜空に輝く

星のように輝くのです。小さな光ですが、多くの人

の目を奪うのです。




 そのとき、私たちはより効果的に、私たちの感謝

の生活について語り、その根源になっている私たち

の神について、お話をすることが
出来るのです。









posted by まさ at 00:00| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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